(卒論)ルターの「語られるみことば」と福音的な信仰――無誤性でない路線でも福音派の志を生かせるかを探って

神戸ルーテル神学校卒業論文(2004年)
29期生 三浦 三千春

目次は一番後ろ
人工音声による読み上げ▼

序 論

 

1.論の動機 聖書を巡って「人が救われるとは」を問いたい

 

1)「福音派」の友人の投げかけてくれたもの

a.「聖書の話は本当か」と信徒が問いかけるとき

私と同じ歳だが、20歳代前半で、牧師になることを志して神学校に学び、その働きの経験が深まりつつあるさなか、若くして「天に召され」た信仰の友がいる。キリスト者学生会(KGK)という「福音派」(evangelicals)[1][2]の学生伝道ムーブメントへの参加を媒介として出会った彼と、さまざまな神学的議論を交わした。そのなかで、今も、いや、今や自ら牧師という職を目指して研鑚している私にとって、忘れることのできない彼のことばがある。

それは、聖書というものを巡ってのコメントであった。彼は、自分が進学しようとしている神学校を選択した理由を述べる文脈のなか、日本の「福音派」の最も良質な部分が表出された学び舎であると彼が判断したその神学校[3]で、彼が学び取ることができ、それが彼の牧師職を意義あるものにするであろうことがらを説明する文脈において、次のような主旨のことを語ったのである。

「牧師である自分が説教において、聖書のなかで、イエス様が荒れ狂う海に命じて波を静める奇跡をなさった個所[4]であるとか、創世記1章の天地創造の記事から語り、その説教を聴いた信徒の一人が訪ねて来たとする。そして、『今朝、先生が話した聖書の話は本当なんですか?』と質問された時に、『いや、実は、今朝の聖書の個所は、学問的に言えば、事実とは異なるんだよ』と説明したとしたら、そういう姿勢で牧師が生き、働いたとしたら、人は救われるだろうか。教会は建て上げられていくだろうか。自分はそうは思わない。」

 

b.“非福音派”は斥けるべきか

その彼のコメントは、彼が、私の書棚に置かれた一連の書籍を見、触発されて語ったものでもあった。その一群の本は、「福音派」ではない、しかしプロテスタント系の版元から[5]出版された、聖書学に関する書物、及び、そういう“非「福音派」の聖書学”を前提とした神学的な書物であった。私は、キリスト者、ないしは自覚的に宣教者として生きることを志す者の姿勢として、そのような書物を読むことは「いいこと」という仮定めいたものを有していた。しかし、その友は、私のそのような傾向に対し、それは「賢明ではない」あるいは「有害である可能性の高いこと」ではないか、という問題提起を投げかけたのであった。

 

2)「福音派」の友と共有する志

私は牧師を志して、ある面、彼とは異なる路線に歩み出した。神戸ルーテル神学校に進んだことは、私にとって、そういうことなのである。神戸ルーテル神学校においては、友人の母校におけるのとは違って、“非「福音派」の聖書学”や、それと関連したような神学に触れることがゆるされ、あるいは積極的に求められているし、それらの学問的成果を積極的、肯定的に受け止めて、牧会の現場での実践にも活かして行くことをさえ探るような学風があるように私には感じられる。

 

a.“救い”を求めて聖書に赴く

私はまた、神学校入学に至るまでに、「福音派」の教会[6]で長く信仰生活を送り、「福音派」の友人たちと多く交流して今日まで来たが、一方、「福音派」ではない多くのキリスト者とも知己を得、その真情の吐露にも触れてきた[7]。その結果、「福音派」でなければ“真の”、あるいは適切なキリスト者ではない、とは思わないようになって来た(以前は、そういう先入観があったのである)。

一方私は、だからといって、KGKで出会い今は「天にある」その友人と、異なる目的、異なる志に生きる者になったとは思わない。私たちは、今も、同じ信念、同じ志を共有し続けていると思っている。

その信念、切なる願いを言えば、「私は“救われ”[8]たいし、また、私だけではなく他の人々も“救われ”ることを願って、その助けとなる働きをしたい。そして、人間にとっての真の、究極的な“救い”は、真の神からもたらされるのであり、そういう救いや、それをもたらす神を知り、そういう救いに確実にアクセスできる道として、我々は聖書を与えられている。そして、聖書において示されているようなことを適切に把握して行くなら、救いの内容や実質を、より立体的に知り、体験したり、信じたりできるようになっていく」というようなことなのである。

 

b.日本における実存的な課題として

友人は、日本における教会形成が、真に「教会に相応しい」原理や思考に基づかず、日本人が知らず知らずのうちに前提としているようなもの――それを今回論じることはできないが――に基づいて行われているという問題意識を抱き、「日本」を相対化したいという目的で途上国における国際協力の働きに携わった後、神学校に進んだ。そのようにしてまで、自らの“正しい”生き方や行動の指針を問うことを彼は、「聖書はすべて誤りなき神のみことばで、信仰と生活の唯一の基準」という聖書信仰のパースペクティブにおいて行おうとしていたのであった。

そういう彼の問題意識がカバーしていた領域は広く、神学校在学中、昭和天皇死去に関連し、大嘗祭が国費で行われ、政教分離原則が干犯されることへの抗議声明を学生会が出すことにリーダーシップを発揮した。一方、邦楽などアジア土着の音楽を用いての神賛美の可能性を追求もした。南アジアの教会での実体験に基づき、日本の福音派が「カリスマ運動」の動向に拒否感を持ちすぎていることへの批判をも表明していた。また、牧会において、困窮者への援助のあり方を真摯に問うて右往左往し、在日外国人の就業と人権の確保に汗を流し、阪神淡路大震災においては真っ先に関東から、救援物資を満載した小型トラックを運転して駆けつけた。

そのような課題は全て、彼にとって、「どうしたら日本人が、現代人が、私たちが“救われ”るか」という問題として把握され、聖書信仰のパースペクティブにおいて追求されることが志され、実践されて来たと私は受け止めている。そういう彼の志と実践のほんの一端でも、共有したいと私は願っている。

東洋の片隅の、キリスト者がきわめて少数派の島国で、しかし世界の潮流の真っ只中にもあって、不思議なことに牧師職を志した友と私、私たちが真剣に、その職と、それ以前に自らの実存をかけて取り組んでいる課題は、《“救い”あるいは、救いを与えてくれる“神”へと人間を“導く”ものとしての聖書に、自らが取り組むのに、どのような姿勢や理解をもって取り組んで行くことが最も適切で、すなわち自らが“救われ”、隣人の救いの真の助けとなり得る道であるか》を探ることである、と私は考えているのである。

それは、息の長い課題であり、関連する分野の広さからも、当然、今回の論において論じ尽くすことは不可能である。焦点を絞りたい。

 

3)論全体としての方法論

a.自然科学の方法と異なる

ここで、上述のような背景、ねらいをもって今回の論究を行いつつある私が、どのような方法をもってそれを行うかを述べておきたい。

自然科学に属することがらの論究とはその方法論が異なることは当然である。なぜならば、上述したような意味あいにおいて《聖書というものをどのように理解し、扱うことが正しいのか》というような問題については、自然科学が、実験によって100㌫再現できる因果関係の提示を以って“万人に納得を与え得る”正しいこたえを導き出すような具合にこたえを導き出すわけにはいかないのである。

 

b.時代を超えた諸論の把握において

そうではなく、このような神学的なことがらについては、「誰々はどう考えた」という論や学説を渉猟し、それらを把握、比較、評価し、そしてその自らなりの評価の根拠を示しつつ、そのようななかで、自らの信じるところの結論を明らかにするということしかないと言えよう。

また、そのことは、神学界や教界、また世界の中におけるさまざまな相互関係のなかで論がたたかわされており、しかもそれは、2000年に及ぶ長い歴史の中でたたかわされ続けて来たのであり、あるいは時代を超えての、異時代間論争さえたたかわされている、そういう神学の営みそのものの状況を、全体的に把握する努力をなしつつ行われるべきであろう。

 

 

 

本 論 Ⅰ

 

 

1.論点の提示

これまで述べてきたようなことを踏まえ、すでに披瀝されたようなエトスをも重んじつつ、論としてなじむように、また、上述のような意味で《諸論や学説の比較・検討によって自らの結論を導き出す》方法論を前提として、今回の論点を改めて整理してみるとどうなるか。

これまで述べられなかった、しかし私の中では非常に関連して把握されている要素をも含め、また、これから述べて行く論を先取りすることも許容して頂くという前提で述べれば次の通りである。

 

《論点の提示》

 

近代の、聖書学をはじめとする神学は、「聖書の記していることは正しいのか」という疑念と、そのことがもたらす信仰の動揺を生じさせたという面で、害多きものであると主張する人々がいる。

そういう状況下にあって、「聖書はすべて誤りなき神のことばで、信仰と生活の唯一の基準」という告白を優先的な事柄として掲げ、その信念においてプロテスタントの保守的な信仰の真理の内容を擁護し、そのことで「福音」による人間の救いの方途を絶やすことなく確保して積極的な伝道活動に取り組もうという意図のもと、超教派的な協力関係のなかで動いてきた「福音派」というグループがある。

その「福音派」の内部において、「福音派」の主張をきわめて分かりやすく体現し、また実際に影響力の強い立場として、聖書の「無誤性」――それは、文字テキストとしての聖書が、歴史的、科学的事柄においても「誤りがない」[9]という、近代になって生じた教理である――を絶対的な、第一の前提とする「根本主義」と見なされる立場があり、その「根本主義」に対して昨今投げかけられる悪評の故に、福音派そのものの信頼性が揺るがされている状況もあると言われる。

以上のことについて、果たして実際のところはどうなのか、後半の議論との関連において、「福音派」の、聖書にまつわる見解に関する問題点、あるいは論点を浮き彫りにするという意味で有意義であるよう努めつつ、概略的に実態の把握につとめたい。

そのうえで、「福音派」を含むプロテスタント教会の“出発点”でありながら、「福音派」におけるような、「文字としての聖書は誤りがない」ことを第一、あるいは優先的な事柄とする立場とは離れたところにあるように思われるルターその人の神学について、その聖書や聖書の権威に関連する神学は、実際どのような内容を含んでおり、それはルター神学のどのような全体構造、あるいは歴史的脈絡においてであるかを把握することによってその意義を知り、今後の福音派の取るべき路線に対してどのような示唆を投げかける可能性があるのかを考察したい。

それらを論究することを通し、今後の自らの歩みのヒントとしたい。

 

2.福音派と無誤性

さて私は、歴史的、科学的な事柄においても聖書は「誤りがない」という無誤性の立場であれ、そうでないにせよ、文字としての聖書に誤りがないという信念に高いプライオリティを与え、そのことを強く標榜しながら神学的営みや信仰の実践を行う人々のグループを「福音派」と先取り的に定義した。

 

1)「福音派」の定義 クラウスに依って

ここで、まず「福音派」とは何か、そして、福音派にとって無誤性というものの意味するところを概観したい。

C.ノーマン・クラウスの、『伝道 福音派 福音主義』における観察によれば、福音派(evangelicals)とは、アメリカに関して言うならば――日本の福音派に関してはアメリカの福音派から大きな影響を受ける構造なので、ただちに参考になると判断した[10]――次のようにその地図を描き出すことができるグループを指す[11]。

 

a.2つのグループの総体

「福音派」内に、大きくは2つのグループがあり、その総体が福音派と考えられる。第1のグループは、アメリカにおいては、組織的には全米福音同盟(NAE)に加わっているような一群で、a)さまざまな教派的な背景を有する保守的プロテスタントの諸派[12]に加えて、b)ホーリネス系の諸教団、c)新根本主義[13]の立場の神学校や超教派団体、d)カリスマ・グループ、e)メノナイトなどの流れの急進的生活共同体を加えた連合体である。この第1グループの集結の大きな要素となってきたのはリバイバル主義である[14]。アメリカ最大教派の南部バプテスト連盟も、組織的には加わっていないが、第1グループに分類され得るという[15]。

第2のグループは、組織的にはアメリカ・キリスト教会協議会(ACCC)に加わっているような、分離主義的な根本主義(ファンダメンタリスト)諸グループである。宇田進も、福音派の構成要素として、その第一に、「対決、分離を強調するACCC系の流れのファンダメンタリズム(根本主義)」を挙げている点で、クラウスと同じような福音派像を描いているように判断される[16]。

 

b.根本主義は保守的プロテスタントの基盤を守りたい

さて、クラウスによれば、根本主義[17]は明らかに改革派神学を前提としている[18]。そして、根本主義の主要な関心事は、「教会の改革そのものというよりは、キリスト教国アメリカの保守的ピューリタンの宗教(改革派神学)のパトスを維持すること」にある。

その登場の契機は、「保守的プロテスタントの基盤が、新しい社会勢力や知的勢力(近代聖書学による「聖書批判」、そのもたらした自由主義神学と共に、進化論、科学至上主義、カトリック、クリスチャンサイエンス、ペンテコステ主義)によって、深刻な脅威にさらされた」とき、「伝統的なリバイバル主義や既成諸教派内部の正統派」が、「それらを食い止めることができず、食い止める気もなかった」ことを憂慮し、「アメリカをピューリタン的な意味でのキリスト教国として保つための」連合として形成された。

 

c.根本主義の発生と、その今日に至るまでの影響

ここで、根本主義が、今日に至るまでの福音派に及ぼし続けている影響を考えておきたい。根本主義の発端は、上述のクラウスの見解の通りである。宇田[19]もほぼ同じ見解で、19世紀末から20世紀初頭、アメリカの教界において、自由主義(Liberalism)や近代主義(Modernism)から、伝統的なキリスト教の信仰理解を保持しようと保守的・福音的グループが立ち上がり、キリスト教にとってファンダメンタル(根本的)なものとして、聖書の霊感と無謬性、キリストの処女降誕といった信仰条項の信奉を強調し唱揚する運動が起こったのである。

論の先取り的になるが、根本主義出現のこの時点で、福音派の流れにおける聖書の無誤性の主張ないしは、「テキストとしての聖書は誤りがない。だから、救済論を含む、聖書の内容としての諸教理も誤りがない」という主張が明確なかたちをとって表れたと言うことができると思う。

 

d.根本主義の挫折と、名を隠しての継承

ところが、その運動が、対抗する陣営との相互作用の中で過激とも言える進展を見せていくそのさなかの1925年、テネシー州で禁止されていた進化論を教えたかどで高校の一教師が根本主義者に訴えられ、その裁判が全米の話題を呼ぶなかにおいて、教師は有罪となったけれどもマスメディアにおいてヒーローとして報道され、逆に、教師を訴えた原告は、反社会的な人物として叩かれることになった「スコープス裁判事件」が引き金となって、根本主義の試みは決定的に挫折を経験し、根本主義という名称は以降、無知、非寛容といった嘲笑的なイメージを着せられるものとなってしまった。

そのことから、当初は根本主義としての運動を共に担っていたけれども、その名に付着してしまった悪イメージの故に、異なる名称を自らに与え、また主張の内容としても、より洗練されたものを追求して行った[20]層が、クラウスのいう第1グループと重なり合うと考えてほぼ間違いないと思う。また、そうやって根本主義が、米社会とプロテスタント教界の主流から退いて後もなお、根本主義の名称と共に、その主張の内容を変えることなく今日に至っている人々がクラウスの第2グループと言えるだろう。

その両者には当然交流や連携が継続していて、それが分かり易く表面に表れたのが、宇田による福音派のカテゴリー3)「第二次世界大戦後に、従来のアメリカ・ファンダメンタリズムを修正した、ビリー・グラハムなどに見られる新福音主義」ということになる。しかし、根本主義の側では新福音主義を許容せず、厳しく弾劾しているという状況があったりするなど、福音派の内部における相互作用、特に、根本主義と“そうでない”層の相互作用には複雑なものがあることを指摘しておかなければならない。

 

e.根本主義者と福音派全体が共有する問題意識は

上述のような歴史的経緯と、構造において、クラウスの第2グループの主眼点である「『誤りのない』聖書の真理の客観的権威の主張」が、第1グループを含む福音派全体に共通した最大の関心事となっていると結論づけることが可能である。

 

2)マグラスに見る穏健「福音派」の方向性

a.根本主義と一線を画したい

先ほど述べたように、福音派の内部において、自分たちは根本主義とは異なるという一線を引き、その違いを内外に説明することに力を注ぎつつ、自らの聖書に関する主張を継続する動きがある。福音派の権威あるオピニオンリーダーの1人と目されるアリスター・マグラス[21]も、福音派を擁護し、その健全な発展を促す立場から著した[22]『キリスト教の将来と福音主義』において、そのことをしている[23]。

すなわちマグラスが根本主義を批判するのは、その分離主義的、闘争的傾向[24]などについてのみであって、根本主義の聖書観と福音主義のそれとの違いを表立って記した記述は見受けられないのである。

マグラスが、根本主義に“独自”な聖書に関する教理を指摘していると見受けられるのは、わずかに、次のようなコメントにおいてだけである。「いくつかの中心的教理(中でもとりわけ聖書の絶対的、字義通りの権威と、キリストの千年期前再臨)が、世俗の文化を遠ざけ…防御柵として扱われた。」[25]

しかし、この記述の直後、千年期前再臨説に関しては、根本主義の、キリスト教的社会活動に対する敵愾心の根拠となるものとして批判を加えているが、「聖書の字義通りの権威」とは何を意味し、どのような問題点を有するのかについては何らの言及もない。

 

b.パッカーへの評価に見る無誤性擁護

一方マグラスは、福音派たる自らの聖書観は「このようなものではない」と弁明する文脈で、聖書記者における機械的な「タイプライター説」を斥ける論拠として、J.I.パッカーを引用するのである[26]。

そして、パッカーは、歴史と科学に関することにおいても聖書が真理であるという意味での無誤性を称揚し、福音主義者や教会全般に働きかけることを目的とした「聖書の無誤性に関する国際協議会」[27]の十数人の実行委員(同協議会にあっては、最高レベルの中核メンバー)の1人であって、そのパッカーをマグラスはしばしば、「卓越した福音主義者」あるいは、福音派の指導者として高く評価しているのである。[28]

以上のことから、同著の内に、無誤性に関する何らの記述がないにしても、マグラスは無誤性を擁護している、あるいは、少なくとも否定はしていないということが言えるのではないか。

 

c.「聖書は誤りない」との前提における護教

このようなわけで、聖書は「誤りがない」とのテーマが意味するところの細部――それを論じる人々にとっては、その細部の相違こそ根幹的な問題であるのだが――を巡っては、福音派内部の議論があるにせよ、その議論の一つの基準点――このポイントを基本的には容認しつつ、ある人はこの基準点より少し右寄りだし、別のある人は左寄りだというような具合に――のようなものとして「聖書の無誤性」があるという位置付けができる、と私は考える。そしてまた、「無誤性」の主張というものが、聖書が客観的な意味において「誤りない」という点を以って、その聖書に記されている「恵みによる超自然の経験」とそれに伴う「保守的プロテスタント陣営の福音的教義」を擁護する防波堤になっているという福音派全体のコンセンサスを、最も明快に表現した(あるいは、明快に表現しすぎた)形態であり、それ故に無誤性は、福音派内の無誤性否定論者[29]にとっても同情的に扱われ、福音派外の論者が無誤性否定をしてもその助っ人をするような論陣は張らない、ということになるのであろう。

上記のように無誤性の教義を葬り去ってはいないように判断できるマグラスは、同著で「福音主義の特徴」として立てた章[30]において、そのトッププライオリティと判断され得る第1の項目として「(1)聖書の最高権威性」[31]を位置付け[32]、その中で、「聖書の全面的優先性と権威への献身こそが、福音主義の伝統に欠くことのできない構成要素」[33]「聖書の独自の権威と地位は、聖書の資料そのものとの関係においても…神ご自身の活動に基づいている」と説明しているのである。

 

3)バーにおける無誤性ないしは保守的福音派批判

それではここで、無誤性の主張に対する徹底的な異議申し立てを主題とした『ファンダメンタリズム』におけるジェームズ・バーの、上述のような意味においての福音派に対する批判に耳を傾けてみる。

 

a.根本主義を中心とした無誤性論者とそうでない福音派の区別

バーは、ファンダメンタリスト(根本主義者)を定義する特徴の第一として、「聖書の無謬性(ここでバーにとって無謬性という用語は、これまで述べてきた、科学的ことがらにおいても歴史的ことがらにおいても聖書は「誤りがない」という意味での無誤性と同義語である[34])、すなわち、聖書にはいかなる誤りもないということを熱心に主張する」[35]ことを挙げ、それはほとんどの神学者がある意味で、聖書は権威あるものとして受け取るべきことを喜んで承認しているのとは違う意味で、「聖書の権威はその不可謬性と無謬性(ママ)に基礎を置くべきで、…またこれらの用語で定義されるべき」という意味においてであると指摘している[36]。そしてバーは、福音派のうちでも、無誤性をその生命線とする「保守的福音派」[37]を根本主義者に重なり合うものとして――そうではない「福音派」と区別しつつ[38]――把握している。

 

b.「聖書は誤りない」を出発点にした護教構造への批判

そして、根本主義者、あるいは保守的福音派(この用語はあまり使われないが)に関して、多少感情的な表現[39]の中で、「アメリカの政治の極右にファンダメンタリスト的団体が政治的に深くかかわっている」[40](それは事実であるが)とか、「偉大なコンコーディア神学校をファンダメンタリストに接収させ、それまでの教師を宗教裁判にかけ…といった教会的な力の政策」といった社会的側面、あるいは心理学的側面についても述べている――しかし、「本書の中で典型的な傾向の福音派として取り扱われているもの」は政治に関して中立的であったり[41]、むしろ政治的には革新的である場合も多い[42]といった公平な観察をも加えている――のだが、著の最も核心的な部分における批判は[43]、これまで私が述べてきたような意味で、福音派全体が共有している聖書に関する見解に対する批判であり、しかもそれは深い意味で聞くべきものを含んでいると思う。

それはすなわち、「聖書は誤りがない」ことを出発点とするやり方で、福音の教理全体を守ろうとする全体的な構造そのものに対する批判なのである。

 

c.根本主義は堂々巡りで自己完結の構造

バーは、根本主義の立場、及びそれに近い立場による、聖書に関する見解を次のように把握する。すなわち、「聖書は聖書自身が言っている故に、権威があり、霊感され、無謬(ママ)である。聖書自身がそう言っている故に我々はそう信じなければならない」[44](ここで「聖書自身が言っている」というのは、聖書のテキストの中に、そう理解すべき条項が記されているとか、テキスト内の登場人物の見解としてそれが記されていることも含む)[45]。しかし、それを裏付ける聖書そのものの資料は乏しいのではないかとバーは言う[46]。またそれは、堂々巡りの構造に自己完結しているという。すなわち、「聖書は霊感されているが故に誤りがない。あるいは逆に、何であれ誤りを認めることは聖書が霊感されていないと言うのと同じである。ではなぜ霊感されていると言えるのか。それは『聖書は霊感されている』という、霊感された(それ故誤りがない)記事の故である」という構造なのである。

 

d.正統的改革派神学からの逸脱はどこから?

そのことは、ウエストミンスター信仰告白に代表されるような、「真の福音的、改革派的、公同的立場」からの逸脱だと言う。ウエストミンスター信仰告白は、聖書が究極的で唯一の権威を有する理由について、多くの事柄を指摘し[47]、またそれらの理由が本来的、必然的に他の本質的な教理と結びついている。そして、聖書の権威の根拠のうち、究極的なものは「聖霊の内的働き」である[48]。

 

e.ホッジ仮説とウォーフィールドの硬直化

そこからの逸脱は、19世紀のプリンストン神学において、チャールズ・ホッジ、B.B.ウォーフィールドが提示した仮説を根本主義が護教のために採用したことによるという[49]。ホッジは、聖書の権威を確信する理由を、「聖書が霊感を教えている」こと1つのみに置き換えた。しかしホッジは聖書の絶対的な正確さまでにはこだわらなかった。

ところがウォーフィールドは、教理的立場を硬直化させ、「聖書の中の誤りはどんな小さなものであっても許容されてはならない。なぜなら、それは聖書の正確さの全構造を脅かす」と考え、既述の堂々巡りの議論を、しかしあくまでも「仮説に属すること」として提示したのである[50]。

それが「仮説にすぎない」ものであったことを根本主義者は「知らない」こと自体にバーは批判を加えるし[51]、その堂々巡りの教説を根本主義が採用したとき、それは「人がまず、自分が根本主義である限りにおいて完全に作動する教理」「根本主義者がその立場を棄てるのを防ぐために考案された教理」として機能することになったという鋭い批判を加える[52]。さらに、ウエストミンスター信仰告白による聖書の権威付けだと、聖書学の批評的研究を排除することができないことが、聖書の権威の根拠づけを1つに絞る理由であろうという[53]。そしてその教理は実質上、その教理への形式的同意を強いる「テスト」として機能し、そのテストに“合格しない”者たち――その人たちがいかに真摯に対話を望み、あるいは無誤性論者が聞くべき意見を有しているにしても――との対話を不可能にしていく機能を果たしてきたことを指摘、批判するのである。

 

f.諸教理の形骸化の可能性

さらに、聖書は「誤りがない」という教理的前提から出発することで教えの全体を守ろうとする場所では、他の教理の形骸化――重要な教理を含めて――が起こることになるとする。[54]

バーは、だから「聖書に書いてある」という理由以外の理由をもって三位一体の教理を擁護しなければならないとしたら、根本主義者は、喜んでユニテリアン的立場を取ったであろう、とさえ言う。そして、聖書の引用が問題を解決できる範囲の外に出かけていくことをしないので根本主義者は、このような論点に関して安易に非正統的になれると言う[55]。そして、その一例として、イエスの人性を軽視し神性をのみ強調するとし、先のパッカーに批判を加えているのである[56]。

 

g.福音派のためのオルタナティブ オア的立場

さてバーは根本主義が、その発生当時において近代聖書学のようなものの影響を防ぎたいと思ったにしても、プリンストン神学以外に取り上げ得る路線があったと指摘する。それはスコットランドで教授であったジェームズ・オアに代表される立場である。[57]そして、「オアの教理の方がウォーフィールドのものより、殆どの福音派の人々が事実上信じているものに近いことは疑いない」との記述は私にとって大変興味深く感じられるのである。

オアは、19世紀末から20世紀冒頭にあって、当時の聖書学の動向に極めて批判的であり、『ザ・ファンダメンタルズ』誌にも寄稿している。バーの解説によると、オアは、「霊感は啓示から生まれ、その注釈であることを強調」した。無誤性(バーの記述では無謬性)は「霊感の教理の本質的な点ではな」く、「むしろ信仰の教理」であり、霊感からの推論である。加えて啓示というものを、単なる思想と真理の伝達ではなく、その本質が神の行為の中にある「歴史的なもの」であり、新約は、それに対して解釈的な関係に立つものと理解する。さらに、各文書が記された時点というよりも、聖書が、霊感された記録として産み出された全課程を問題にし、その最後の証明として、メッセージが産み出す生命を与える効果の中に見いだすべきであって、霊感を信じる重要な根拠は、ウエストミンスター信仰告白に従い、聖霊の内的証明にあるとした。[58]

しかし根本主義がオアの型の教理を採用しなかったのは、その新正統主義との類似性[59]の故などであるとともに、根本主義者となった人々が自らは無自覚の内に抱いている哲学的前提を指摘しているのである。

 

h.理性を無制限に重視する哲学的立場

ホッジらプリンストン神学においては、カント的な、理性への批判が欠落し[60]、理性に、「何が意義を持ち、何が信頼でき、何が証拠であり、証拠が導く方向は何かといったことを決定する自由な統制力」を与えている[61]。ホッジの理性への確信は際限がなくて、「イエスがキリストであり生ける神の子である」といった信仰の真理を信じることにおいても、その前提として理性によって判断できる証拠が必須であるという驚くべき記述がある、とバーは指摘するのである[62]。加えてホッジは科学との関係について、神が天地の作者なのだから、「自然の法則が正しいと証明するもので神の言葉の教えに矛盾するものは何もない。聖書は哲学または科学の真理に矛盾し得ない」との見解を有していたと指摘する[63]。

上記のようなプリンストン神学の哲学的前提を共有しているので、根本主義はホッジの路線に進んだのだというのがバーの理解なのである。根本主義は、近代パラダイムの産物たる聖書学がもたらすものに対抗しようとして、かえってそのパラダイムに絡め取られる現象であったということであろうか。

 

4)マグラスの“応答”は?

a.直接はバーに応えない

さて一方、『キリスト教の将来―』においてマグラスは、「ジェームズ・バーの屈辱的、論争的著書『ファンダメンタリズム』」[64]について言及し、相当意識していることが窺える。そして、「根本主義と福音主義の必要な区別をし損なっている」と苦情を申し立て、バーが根本主義に対して行っている種類の批判は、バーが記すまでもなく福音派内部できちんと行われていると主張する。そして、その内容として、「根本主義の説教は、しばしば釈義的に浅薄」「ある種のしかつめらしい伝承を無批判に、聖書と同じ地位にまで高め」ていることなどを挙げているのだが、バーによる最も本質的な問題提起――「聖書は誤りがない」という前提において聖書の権威を守ることで、その聖書に書いてある宗教的真理の信頼性を保とうという構造そのものに間違いがあるのではないかという――には、直接的にはこたえていないように思われる。

 

b.実質的にバーと同様の問題意識

しかし一方、その本質的な問いかけに対し、ア・プリオリなものとしての聖書の無誤性の擁護に類する路線への“オルタナティブの提案”――オア的な霊感理解を採用すればどうか、あるいは、理性に関する哲学的前提を問い直してはどうかという――をも含めて、マグラスは内容的には、容認ないしは同様の立場の見解を表明しているように私には判断されるのである。

 

c.聖書の権威は、啓示する神の主権に根拠

それは、以前に触れたマグラスによる福音主義の定義の第1項目である「聖書の最高権威」の項において、「聖書の独自の権威と地位は、聖書の資料そのものとの関係においても、その後の読者の側での解釈と内的適用の課程においても、啓示をなさる神ご自身の活動に基づいている」(『キリスト教の将来と福音主義』P80、傍点三浦)と定義しているような点から、そういう判断を下す次第なのである。

 

d.主観的要素の重視

加えて、聖書の権威について「決して見落としてはならない」要素として、「主観的確信、つまり『聖霊の内的証言』というカルヴァンの教理の中に表された概念」[65]を指摘し、聖書は客観的真理に加えて実存的妥当性をも備えている――しかし、「聖書の権威がそのような実存的妥当性に基づいていると言っているのではない」と力説しつつ――、「聖書に権威があると述べることは、そのような権威が潜在的に、客観性と主観性の両面を持っていると認めることになる」という見解を表明するのである。しかし、ここでの意味における客観の関連において、「たとえばキリストの死の歴史的客観性」には言及するが、著作の全体を通しても、無誤性論者が主張するような科学や哲学、歴史に関しても一点の誤りもないというような客観性は、マグラスは要求していないように見受けられるのである。

 

e.福音派の高い志を忘れないで

さらに続けてマグラスは、福音派にとっての聖書の中心性は、「狭い聖書厳守主義者の立場をとっているということではな」く、「キリスト教信仰と神学の中心的、真正な源泉」であり[66]、福音主義者にとって、そういう非常に高い聖書観(聖書の権威)と、「徹底してキリスト中心であること」(キリスト論)は切り離せないものである[67]と弁明しているのである。

ここにおいて私は、「キリスト教の将来」に貢献したい福音派のオピニオンリーダーの一員たるマグラスにおいて、聖書の権威について、次の方向性が打ち出されていると観察した。すなわち、聖書の客観的権威の確認――それは無誤性への容易な傾斜を有している――の堅持を決意しつつ、聖書の権威の性質そのものの要請として、主観的あるいは実存的にその受け手に語りかけることにおいての権威をも積極的に確認し、その両種の権威が聖霊によるものであることを確認するという路線である。

 

f.山崎鷲夫の興味ある発言

付言ながら、日本における同種の路線の提唱の実例として、山崎鷲夫に触れておきたい。山崎は、福音派として自認する日本ホーリネス教団の“最長老”の一人だが、同教団立の神学校[68]が出版した『論集 聖書』において、他の多くの著者が無誤性論者として主張を展開するなか、「聖書は元来神のことばなのであって、誤りがないから神のことばなのではない」[69]という順序において、「『聖書は誤りのない神の言葉』で十分である」[70]との結論を――無誤性の主張をせずともいいのではないかと仄めかしつつ――記しているのである。大変興味深く感じられた次第である。

 

 
本 論 Ⅱ

3.ルター神学の投げかけるもの

1) 信仰への接近における、理性の無能力性が「聖書の権威」を要請

a.無誤性の発想でない方法で信仰の真理に迫りたい

 さて以上のような、無誤性を中核とする、《聖書は「誤りがない」ことの擁護を以て、聖書がその内容とする真理も確保される》という方向性のあり方が有している限界や問題性を認識したうえで、そういう無誤性擁護的な発想よりももっと、聖書及びキリスト教というものの真の姿(真理)に迫ることができ、信仰の実践においても共同体を守っていくことができるような方向性を探りたいという意識を抱きながら、ルターの、聖書にまつまる神学を論考していくこととしたい。
 そういう意味で、ここで論じること自体が意味するところは同時に、先取り的に言うならば、次のことを意味している。すなわち、ルターの聖書に関する神学へのアプローチにおいては、それが彼の神学全体の構造におけるどこに位置付けられるかを十分に理解する努力が必要で、それはすなわち、彼の神学のあらゆる要素が有機的に結び合わされているその「全体」が、過去からの伝統との意識的なつながりのなかで形成されていった経緯を理解する努力が必要だということであって、そういった努力の中で論考が行われなければ正鵠を得た理解にはなっていかないのだ、という認識が深まっていくことを意味しているのである。
 もとより、本論のテーマの守備範囲に属すること全般にわたって論じることは不可能[1]であるが、今回私が、この論をおこした理由である、私自身の実存的な関心をできる限り満たすような方向で微力を尽くしてみたい。

b.ルターは無誤性議論を素通りできる?

 コーイマンは『ルターと聖書』において、「無誤謬性に関するあらゆる理論を彼(ルター)は平穏に素通りすることができた。ルターは、これらの理論を不必要でまどわすものと考えた」と言い切っている。[2]
 しかし、一方、「ルターの見解では、聖書は他のどのような霊感説にもおとらない権威を与えられている」と主張する。
 無誤性として今日認識され得るような理論を採用することなしに、聖書の権威を認めたのは、そういう彼の神学全体におけるどのような構造の一環としてであるのか。また、それが、どのようなルターの理解やあり方においてであるのかを、コーイマンを主なる手がかりとして論考したい。
 まずその前に、ルターの聖書の権威に関する主張は、無誤性とは異質のものであるという、その諸相を確認したい。
 ルターは、正典の範囲の確定においてさえ、各書の“重要性”が一律のものであるとは認識せず、鋭い区別を設けた[3]。ヤコブの手紙の正典性そのものについて疑義を抱き、「わらの書簡」と呼ぶことさえやぶさかではなかったほどである[4]。
 また、聖書中の預言者が「この世のことでまちがいをおかす」ことを認め、しかし彼らは「キリストにある神の真理」については「まちがいをおかすことがない」という見解を有している。また、4福音書間の食い違いや、ことにキリストの受難に関する記事についての混乱について、「これらはわたしが解決できない問題」であり続け、その問題を明快に解決しようと求める人々がいても「それはたいして重要ではない」と言い、テキスト批評と今日言うことができるような討議を為すことに「なんの躊躇もしなかった。」[5]
 その今日への影響として「現代の神学者たち」が、ルターのそのような傾向を利用して、「処女降誕は福音を語っていない」から「教会が固守すべき教えではない」というような意味における聖書批判を展開していることを、ヴィスロフが牽制しなければならないほどである。[6]

c.しかし文字としての聖書の一点一画を重視

 しかし一方ルターは、「文字の中に入っている物理的な書かれた言葉」に我々は頼り、「聖書のあらゆるわずかな記号と文字とを全世界よりもさらに重大であると考え、その前に、神ご自身の前におけるのと同じようにおののかなければならない」[7]とさえ表明したのであり、あたかも、無誤性のなかでもさらに極端な見解といえる逐語霊感説に立っているとさえ思われるほどだとコーイマンは言う。事実、先に触れた無誤性論者のパッカーは『聖書の権威と無誤性』に、「ルターの聖書へのアプローチについてどんなに意見が違っていても、そのことでルターの聖書の無誤性の見解が変わることはありません」との見解を記し、そのような判断を下すことが可能なルターの発言を、数百箇所も見出すことができることを指摘するのである。[8]

d.オッカムの理性への見解からの影響

 しかし、「組織神学者ではなかったにしても、なお徹底的に筋の通った考え方をする人であるルターが、一方が他方を排除するといった事実を知りもしないで、二つの異なったものの間に自分に満足を与えるような一致をもたらすことができると、どうして考え出すことができたであろうか」とコーイマンは言う。[9]
 そして、ルターが聖書への「批判の自由」を保ちながら同時に、神のみことばとしての聖書に絶対的な服従を求めた態度は、ある点で、オッカムの理性に関する考え方の遺産であり、加えてルターがその遺産を使用したのは、ルターのプロテスタント的考え方に適用することができたからだ、と論じていくのである。[10]

e.スコラ主義における唯名論者オッカム

 オッカムのウィリアム[11]はルターに先立つこと1世紀半、14世紀前半のスコラ学者であり、ルターはオッカムから多くの影響を受けて自らの神学を形成した[12]。
 スコラ学は、全ての学問的営みが教会の手中に掌握されていくなかで、総合的な思想的体系の担い手として発展していったが[13]、11、12世紀には、人間理性に対する信頼が最高潮に達した。スコラ学の確立者とも言われるアンセルムス(11世紀)は、「ただ理性に訴えるだけで、受肉と贖罪に関する教会的信仰の真理でさえも証明することができる」[14]という発想であり、それがスコラ学の基調となった。ルターの時代には、カトリック教会内において最も優勢で、宗教改革勃発後には、その教理が教皇から公的に権威づけられて今日に至るトマス・アクィナス(13世紀)が、緻密で統合的な神学体系を完成させた。
 そのようなスコラ学の主流においては、実在論(Realismus)の考え方が支配していたことに対して、スコラ哲学の基盤そのものを揺るがす潜在性を有していたのが唯名論(Nominalismus)であった。オッカムは後期唯名論の代表的人物なのである。
 実在論では、プラトンのイデアにおけるような意味での「普遍」(universalia)が、個物から離れた実体として客観的に存在すると考える方向性であって、そこに、「普遍」から出発して抽象的推論を重ね、すなわち理性によって信仰的真理に到達できるという方向性のものである。実在論に対し唯名論は「普遍」の概念を、個の観察によって生じた抽象的議論にすぎないと考え、個と個の間の類似性は「普遍」の実在を意味せず、むしろ思惟する人の意図を反映しているのみであって、「普遍」は単に個体を代置する記号(唯名論との名称の由来はここにある)にすぎないとした。[15]

f.唯名論の「聖書に権威」説からの影響

 オッカムは、実在論の伝統において行われてきた「唯一神の存在」「神の三一性」といった論理の証明が、厳密な意味での論証(説得的であるとか弁証法的であるという意味での“論証”ではない)によって、すなわち理性によっては不可能であることを、唯名論の立場から明らかにした[16]。
 しかしオッカムは、権威という考え方によって、スコラ神学の枠からはみ出すことを避け得た。すなわち、理性によっては絶対に到達することができない信仰の真理(「唯一神の存在」「神の三一性」といったものを含む)に関しては、聖書と教会の権威、あるいは「正しいと認められた学者たち」(トマスのような)の権威に基づいている場合に、それを信じることができる、という論に立ったのである。しかも、その権威を認めるということは、「オッカムの剃刀」として知られる、「因果関係の説明は、もっとも単純なものを採用すべきである」という原理[17]――それは唯名論的な意義において理性の能力を力強く確認したものでもある[18]――によって成されているのである。

g.「理性は信仰の真理に達さない」という信仰の論理

 先ほど、「理論の道筋」と記した。そしてこれは、優れて生来の人間の自然的な理性の働きなのである。すなわちオッカム主義からルターは、《理性によっては信仰の真理に達し得ない》ということを理性によって知る、そんな神学――それを信仰の論理と言い換えることもできようか――の営みを鋭く受け継いだのである。
 オッカム主義の強い影響下においてルターは、信仰の真理が、理性の全く及ばない、かえって、人間生来の知的、道徳的、宗教的見解と正反対のものであっても、“聖書の権威”によってそれに到達することができるという理論の筋道を確立することができた[19]。

2) 実存的な“求め”のなかで、聖書にとらえられたルター

 しかし、ルターがなぜ、「教会」や「正しいと認められた学者たち」の権威を斥けて、聖書の権威「のみ」を認めるに至ったのか、加えて、ルターがそういう聖書の権威において見出した信仰の真理の中身は何であるのかは、オッカムを超えた地点にある問題である。オッカムを克服しなければルターは先に進んでいけなかったのである。

a.死への恐怖、審判者たる神への恐怖

 ここでルターが、自らの切羽詰まった“実存的”な求道の思いのなかで神学の道に進んだことを想起しなければならない。ルターは、厳格な両親のしつけもあって、他に類例を見ないほどの「良心の人」として育ち[20]、中世の教育的環境の中で、神やキリストを容赦なき審判者として恐怖の対象にしか捉えることができず[21]、そういう彼が青年時代、腰に帯びていた短剣による傷で多量の出血に見舞われたことや[22]、親友や兄弟の死などを通して死へのおそれを深く刻み込まれ[23]、そういうなかで落雷に襲われ、すざまじい稲光と大音響と共に大地に叩きつけられ死の恐怖に打ち震えながら思わず大声で、「聖アンナよ(ルターは後に「アンナ」を「恩恵の下」にあると解釈しているのだが)助けたまえ。私は修道士になります」と叫んだその「誓約」を守るために[24]、聖職者の道に進んだのであり、その流れにおいて本格的に神学者の道に歩み出した[25]のである。

b.規則を厳格に守っても“救われ”ない

 ルターは、自らが“救われる”ことを求めていた。それを見出すまで、彼は満足しなかったのである。修道士になる前に彼は、エルフルト大学で文学修士を獲得している。新進気鋭のこの大学[26]を擁するエルフルトの街そのものがオッカム主義の牙城だった[27]のであり、そこでの学びのさなかに転身したルターが選んだ修道院は[28]、厳格な律法遵守と禁欲主義で知られるアウグスティヌス修道会であった。
 ルターは模範的修道士として、断食、徹夜、祈祷といった修道院の規則を非常に厳格に守った。「修道会の規則を守るならばあなたは救われる」という勧告に従っていくら精進し、功徳を積んでも、かえって内心において罪の自覚が増大し、魂の平安を得ることはできないことをルターは体験した。[29]

c.聖書の外的な学びによっても救われない

 その間、修道院でもそれが勧められ、またかねてからルター自身が願っていたように、彼は聖書の学びに没頭し、聖書の内容に知悉した[30]。しかし、そのこと自体によって“救われ”たわけではなかった。

d.「神の義」ということばにとらえられる

 けれども、聖書を読むうちに、ルターはあることばに捕らえられた。それは、詩篇に歌われ、パウロの書簡に頻繁にあらわれる「神の義」(iusutitia Dei)ということばだった。ルターが当初その「義」を、神がそれを基準にして人間を審判する能動的義であると考えたことはよく知られたところである。ルターは、このような残酷で、実現不可能な要求を人に押しつける神に対して怒りを発する。けれども、この不思議な「神の義」ということばに心が捕らえられて、夜も昼も思いはそのことばへと流れていった。そして、詩篇講義、ローマ書講義などにおいて「神の義」というテーマに取り組むことを通し、「神の義」とは、神がそれをもって人間を義とし、救うものであることを神学的な確信として“発見”し、自ら“救われ”ることにも至ったのである。[31]

3) 「文字と霊の区別」において読むことの発見

a.アウグスティヌスの、「身を以て読む」リアリティへの共感から

 「神の義」を“発見”する途上において、アウグスティヌスから受けた影響は大きかった。アウグスティヌスの神学を下敷きとして、ルター自身の神学を形成していったといえよう。義認論において受けた感化が大きかった。自らが発見した「神の義」をアウグスティヌスも同様に説いてるのを知った、という表現があるほどである[32]。
 アウグスティヌスが修道院の「守護聖人」であったことからルターは、その著作を研究するようになったのであったが、「アウグスティヌスの神学が抽象的な真理を内容としているのではなく、むしろ彼が自分の身で体験した神のリアリティを内容としていた」ことがルターに親近感を抱かせ、感化を及ぼした[33]ことを見落としてはならないだろう。それで彼は、この教父の著作を、贋作が見分けられるほどまでに読み込んだのである。

b.「文字と霊の区別」を受け継ぐ

 ルターがアウグスティヌスから受けた影響を、聖書の釈義に関することで言うと、「文字(的解釈)と霊(的解釈)」の区別を受け継いだことが第一に挙げられる[34]。
 ルターは聖書学博士に任じられ、29歳でウィッテンベルク大学の神学部教授に就任後、最初の神学的労作としての(第1回)詩篇講義、それに引き続いてのローマ書講義[35]において自らの神学を確立させていったが、その詩篇講義において、自らと同世代のフランスの人文学者・神学者ルフェーヴルを介してアウグスティヌスの「文字(的解釈)と霊(的解釈)」に区別を置く解釈法を継承し、それを独自のものとして発展させた。

c.詩篇をキリスト論的に読むことにおける継承

 基本的に、ルターが詩篇を解釈するにあたってアウグスティヌス及びルフェーヴルから学んだのは、詩篇をキリスト論的に解釈して読むことである。ルフェーヴルにおいては、詩篇に独自の文法的、文学的、歴史的な意味があってもそれは教会にとって重要性を持たない。そうではなく「キリスト者は聖霊を媒介にして、(旧約)聖書の預言的、霊的、文字的、またキリスト論的な意味に対する洞察を受け」る[36]。それが、「霊的な解釈」を「文字的な解釈」から区別するということであろう。そして、そういう解釈法の起源は古代教会にある、というアウグスティヌスの伝承的伝統にルフェーヴルは立脚しているのである。

d.「形而上学的に霊と肉を区別する理解」の克服

 しかし、ルフェーヴルにおいて、「霊的な解釈」を「文字的な解釈」から区別する時に行っていることは、「聖書はsecreta(秘密)とmysteria(秘儀)に満ち」ている「形而上学的文書」に過ぎないという考え方に立脚し、テキストの字義を離れた、字義から“浮いた”ところにある“奥義”を探り出そうとすることであったということではないか[37](そのことは、アウグスティヌスが新プラトン的背景を以て行ったことを、ルフェーヴルが発展させたということなのであった)[38]。ルターはこういう点で、後にアウグスティヌスや教父たちを批判することにやぶさかではなかったのである。

e.聖書の「文字」に指し示されて「霊」が与えられる

 それに対してルターは、「文字」から“浮いた”「霊」ではなく、「文字」を通して具体的に指示された事実を通して「霊」が与えられるとした。その、「霊が与えられる」ということは、テキストにおいて与えられている「事柄」、つまり、「キリストとその福音」を深く理解することなのである。[39]

f.読者の方が「変えられる」という事態

 橋本昭夫によれば、ルターにおいてそういう聖書の読み方が行われているときに起こっている事態は、「テキストを解釈者の範疇で解釈する」のと逆に、「解釈者がテキストにある「事柄」に捉えられ」、「テキストによって解釈者が変えられる」ことが要求されているという事態なのであって、それはすなわち、テキストの内容(的な事柄)が解釈者の内に、「生きた言葉とな」るという事態なのであって、それが「霊的に解釈した」ということなのだという。

g.神は「外的言葉」に被われつつ、すなわち聖霊をお与えになる

 「このようにルターは文字的解釈と霊的理解は内的に連列し、前者は後者の前提であるとする」。そして、そのルターの考えの背後には、「神はテキストの字義的な意味、つまり「外的な言葉」を用いてのみ、ご自身のみ心を人間に示されるという理解」があるのであって、それは子なる神の歴史的な受肉を通してのみ、神は人間にみこころを示された(ヨハネ1章18節に、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」とある通り)その事実と類比的なのである。人間は「裸の神」の前に立ち得ない。だから神は、「外的な言葉」を被いとし、それはすなわち、「外的な言葉」を“手段”としてご自身の聖霊をお与えになって、その「外的な言葉」において明晰にみ心を示される

4) 語られるみことば

a.何がルターをキリスト論的聖書の読み方に導いた?

 ルターはそうではない詩篇の読み方を採用することもできた。それは、当時の人文主義者が採用した、文学的、歴史的な意味だけで読むという路線である。しかしルターはそうしなかった。それは、コーイマンの理解によれば、ここにこそ、今後ルターの生涯の全部にわたってそれが支配するキリスト論的な神学の「最初の鼓動」を認めるのである[40]。
 では、そういう風にルターをし向けたものは何だったのか? 先述したように、アウグスティヌス自身の著作を通して知ることができた彼の実存的な姿勢に惹かれてのこととも考えることができるし、ルターの修道院、神学部における上司で、苦悩するルターに絶えず司牧者として助けを与えたシュタウピッツが、アウグスティヌスの神学的伝統の影響下にある者としてルターを助けたことが実際、ルターの“救い”の追求に役立ったということも、ルターをしてアウグスティヌス的な聖書の把握を選択させたということができるのではないだろうか。

b.“救いを得られる”ように置かれていた聖書

 いずれにせよルターがここで、キリスト論的に聖書を読むという点においてアウグスティヌスの路線を選択しなければ、今日我々が知っているルターの宗教改革はなかったということができよう。ルターがここで、人文主義者に従って、聖書を文法的に、文学的に、歴史的に“正しく”知ることをのみ求める路線を採っていたとしたら、結局のところ、今日のプロテスタント教会は生まれて来なかっただろうということに、我々はもっと注意を向けるべきではないだろうか。
 ある意味で、プロテスタント教会を生み出したのは、自ら救いを求める人々(アウグスティヌスやルターのような)が、“その救いを得られる”ように“提供”されているあり方で聖書に接していく(この文脈における言い方でいえば、キリスト論的に聖書にアクセスしている)ことを通してであったといえるのではないか。

c.外から「語られることば」に関わらせられるということ

 ルターにおいて、「救いを求める人々が、救いを得られるよう“提供”されているあり方で聖書に接している」ということは、救いを“求め”る人の「外」から、「語られることば」との脈絡において聖書に関係しているということになるであろう。
 それは平たく言えば、聖書のテキストに基づいた説教というかたちに代表されるようなあり方で「語られ」たことばと関わりを持たせられるということなのである。
 『ルターの聖霊論』におけるプレンターの理解によると、そのように「語られることば」を聞くという事態に含まれていることは、聞く者が、外側から来ることばを聞くことによって自分の方が正されることを許容している、という謙遜な気構えがそこにあることになる[41]。

d.「語られることば」において語られるキリスト

 その「語られることば」が、誰の口を通して語られようと、それはそのことばの中で「お語りになると期待せられるキリスト」その方だけが、「福音のキリスト、すなわち、福音の内に生きて、ご自身を与える今いますキリスト」なのである[42]。

e.「語られることば」において現れる聖霊という領域

 その時に起こっている事態は次の通りである。生きたご人格であられる聖霊が[43]、語られたみことばにおいて、神の啓示という領域としてあらわれ、その領域にはキリストが現在しておられて、そこにおいてのみ、まことの信仰や愛が生きるということなのである[44]。

f.そこでは「模倣」でなく「神の異なる業」がある

 その信仰や愛というものは、単なる敬虔主義的な「キリストの模倣」に関連するような、理想主義的なCavri”ではなく、人間の心の内にあって、外のものである聖霊の領域において、神が主体者として「神の異なる業」として人間が真に自己嫌悪(自分に完全に絶望するということと考えてよいか)するという意味においての自己愛を抱いているということにおけるキリストとの合致がそこにあるようなものとしてのものなのである。
 その時、ルターが苦悩し続けた、どんなに外見的に敬虔な業においても、その自分の徳を楽しみ誇るような偶像礼拝が潜んでいるという状況とは異なるものがそこにある、ということになる[45]。そのとき私たちは、「私たちが決してその支配者となることができないようなもの」に出会わされていることになるのである[46]。

g.キリストの「信仰の義」を転嫁して下さる事態として

 以上のことを、私なりに整理・敷衍して考えるとき、人は生来の意志によって、神から要請されているような信仰を持つことはできなのだから、「語られたみことば」を聞いたときに信仰を抱いているということは、ご自分の主権によって私を招き引き寄せたもうた聖霊の領域において、人としてのみ子が真の信仰を持っておられ、その信じるということにおいて義であるその義を、私に転嫁していて下さるということなのだ、という理解も可能なのではないだろうか。

5) 聖書やみことばの“実力”に信頼していたルター

a.ある「テキスト」が絶えず「語られる」ものになる可能性

 さて、先に、ルターの考えには、「神はテキストの字義的な意味、つまり「外的な言葉」を用いてのみ、ご自身のみ心を人間に示されるという理解」があると述べた。
 そしてその後、全く神の側の主権において、人間の外からのものとして「語られるみことば」――それは、「テキストの字義的な意味」を用いてのみ語られる――が語られ、そのことによって“救い”の事態が起こることを述べた。
 これらのことからルターは、現時点では自らにとって「外から」の「語られたみことば」ではない聖書のあるテキストが、別の時には、あるいは他の人にとっては「語られた」もの、すなわち救いの言葉になる可能性が常にあることを考えていた[47]。

b.だからこそ「文字」の意味を正しく把握する努力

 だからこそ、現時点では自分にとっては“評価できない”聖書テキストの個所であっても、その「文字」を通して具体的に指示された事実を正確に把握するための研究を重ねることを重要視した。そのことは、ヘブル語やギリシャ語における元来の語感を知る努力を重ねたことや、ドイツ語訳聖書の翻訳にあたって、レビ記のような自分にとってどうしても実存的な意味で興味を持てない個所であっても、家畜の内臓や宝石の名称など些末なことに至るまで、でき得る限り正確な訳業であることに努めたという事実にあらわれている。
 そのような姿勢は、パッカーの言うように、ルターが無誤性の理解を擁していたと解することも可能であろう。しかし、事柄により肉薄して論考したとき、それはコーイマンの言うように、ルターは、「無誤謬性に関するあらゆる理論」を「平穏に素通りすることができ」たと把握する方が実態に近いであろう。

c.聖書の、語りかける“実力”に信頼を置くルターの聖書観

 また、論考による成果として、より積極的に言い得ることは、ルターにおいては、無誤性擁護のような方向性における静的、あるいは、人間の理性にかなった合理的、あるいは予定調和的な聖書ないしは「みことば」に関する理解にとどまってはいないのであって、むしろ、みことばをお用いになる生きた神への信頼、また、そういう神が特別啓示のために備えられた唯一の道としての聖書ないしは「みことば」というものが有する“実力”に信頼を置くという理解にこそ、ルター的な聖書観の特徴がある、ということが指摘できるのである。

結 論

 「外的なテキストとしての聖書に誤りがない」という主張を以て聖書の権威を“擁護”し、その中に「書いてある」とされる諸教理の信憑性を守ろうとした福音派の試みは、その弊害が意識され、福音派の内にあって、それとは異なる道によって聖書の権威と福音の指針を把握し、そこに立っていこうという大きな潮流があることを確認した。
 その道は、生来の人間の理性に重きを置く発想を離れ、神の主権的な啓示の働きに信仰を置く方向性に見いだされている。プロテスタントの源泉たるルターの、みことばに関する神学と、ルター自身の実存的な葛藤の跡付にまでさかのぼるとき、そこには、聖書を通して神からの救いを認識することについて、より徹底的に人間の理性によらないでそれをするという神学的主張が見いだされた。し、そういう理性に代表される人間というものの実存的理解に徹していくとき、そのなかに、より徹底した救い――それが救いを求める者の「外」から来るからこそ――への展望が与えられることを再確認した。

 それ故にルター的なキリスト教はまた、「外から」もたらされる異見を歓迎する体質があり、加えて自分たちの神学が、ルター以前からの教会の歴史に密接に、それも多様な要素において、それらが有機的に絡まり合うかたちで、連なっていることを意識するものであるが故に、歴史の諸断面において、また、さまざまな要素のさまざまな局面において連関を有し――それは結局、「世界を共に成している」ということであろう――ている様々な思想、特に異なる伝統の中にありつつも聖書を共有しているキリスト教の他の神学と対話することで自らを絶えずただしていこうという姿勢を有してきたことも!確認できた。

 そういうルターの神学のパースペクティブにおいて、福音派の志――救いの有効性を信じるために聖書の権威をありのままに認めたい――を共有し、日本においても、“救い”を求める同胞に通じる言葉を、みことばとして語っていく営みに貢献できる可能性を感じることができたことを記してこの論を閉じたい。

◆脚 注
“1)宇田進は、『新キリスト教辞典』P1081「福音主義」の項に、第二次世界大戦以降における状況として、自らを福音主義(Evangelicalism)と標榜する人々が、「大局的に見て2種類」存在するとし、「日本においては東京神学大学系の神学者たちによ」ってその立場が代表されるような「バルト及びそれ以降の新しいプロテスタント神学の視点に立った福音主義」とは別なものとしての「「福音派」(Evangelicals)における福音主義」を指摘する。私がこの論で用いている「福音派」(Evangelicals)という語は、その意味においての語である。宇田はその「福音派」を、1989年「現代の福音的信仰――ローザンヌ誓約」の公表母胎であり、また、それを擁護している――それが、私の観察によれば、“誓約”の内容把握においてではなく、その“誓約”を出す状況にコミットしているリーダーたちとの人脈的な忠誠心ないしは繋がりに由来するものとしての擁し方であることも含めて――ようなグループとして把握している。
 上述の意味における「福音派」、またそれと同等の意味での「福音主義」、あるいは、同様の文脈で用いられ、日本語では「福音的」と訳されることが多い「Evangelical」(『キリスト教の将来と福音主義』P25、『伝道 福音派 福音主義』P1)に関して論じる諸著においては、多くの場合、新約における「福音」(ευαγγελιον)の語にさかのぼり、その語の概念との関連における使徒や、教父等における信仰の内容を概観し、また特に宗教改革において発生した「プロテスタント」とほとんど同等に使われる「福音主義」などについて概観したうえで、「福音派」にまつわる記述に進んでいる。
 本論では、その概観を行っていないが、宇田のいう、現代における狭義の「福音派」に関連しての論であることを断っておきたい。”
“2) 日本における「福音派」の協力組織として公的・代表的なものとして受け止められている日本福音同盟(JEA。『キリスト教年鑑』(キリスト新聞社)1995年度版P592で、「EVANGELICALS」「世界の福音派」の組織的機構のうち、JEAは、日本における唯一の機関として記されている)の「規約」第3条「信仰基準」の第1項を引用。
 ちなみに2項以下は、2神はすべての造り主であり、唯一で三位一体のまことの生ける神である。3キリストはまことの神、まことの人であり、処女マリヤより生まれ、人間の罪のために十字架につけられて死に、全能の神の力によって復活し、神の栄光の御座にあってすべてを支配しておられる。4キリストによる救いは罪の束縛と死の力からの解放であり、信じるものは義とされ、聖霊によって新生し、きよめられ、栄化される。5教会はすべての信者が聖霊によって一つとされたキリストのからだであり、公同にして普遍である。6キリストは世界のさばき主としてふたたび来られる。キリストを信じた者は永遠の生命に、キリストを信じない者は永遠の刑罰に定められる。以上の情報は、http://www.jeanet.org/about/agreeme…(日本福音同盟(JEA))で得た。
KGKにおける、同様の、「聖書信仰」に関する条項は、「キリスト者学生会規約」第3条(信仰基準)の第1項に、「旧新約聖書六十六巻は、神の選ばれた聖書記者たちによって、神の霊感のもとにしるされた神のことばであって、原典において誤謬を含まず、信仰と生活の唯一の規範である」となっている(『学生の伝道』1977年版、P64)。
 また、「福音派」との関連において、「教会の健全な成長と発達のために奉仕することを目的として誕生し」(http://www.evangelical-theology.com/…(日本福音主義神学会))た「日本福音主義神学会」規約、第三条(立場)には「本会は聖書の十全霊感を信じる福音主義キリスト教の立場に立つ」とされている。
 このように、「福音派」内部においても、自たちのアイデンティティとして聖書に権威があることを最優先の事柄として表明する文言の含んでいるニュアンスの相違が存しており、その“相違”の意味するところは、本論の本質的な部分として含まれているとはいえ、詳述はしきれないことを断っておきたい。
JEAの、福音派における組織としての代表性に加え、福音派のアイデンティティに関わる聖書に関連する信念についての表明において、JEAの信仰基準が最も包括的なものとも判断して、ここに記載した。”
3)その神学校は聖書神学舎である。
4)ルカによる福音書8章24節など。
5)日本基督教団出版局、新教出版社、教文館、ヨルダン社、山本書店など。一方、「福音派」系の版元の代表格は、いのちのことば社である。
6)イムマヌエル綜合伝道団という、メソジストないしはホーリネス運動の系譜に属する教団に所属する教会である。
7)先述した、キリスト者学生会に関連しての交友に加えて、「クリスチャン新聞」という“超教派”の“ジャーナリズム”的働きに15年間、記者としての立場等で奉職したこと、及び、親族のうち、“非福音派”を含む多様な教派的背景の教会、及び無教会主義集会に連なる人々との交流がゆるされていたことによる影響が大きい。
8)ここで“救い”という言葉を用いた意味は、キリスト教の組織神学において用いられる神学用語としての「救い」を直ちに指すというより、まずは、一般的な意味あいにおいて、「あなたの言ってくれた言葉でずいぶん救われたような気がする」という具合に用いられるニュアンスにおいて、日本語の“救い”という語感で言われるにふさわしい事態があることを、我々が経験的に知っている-―その実態を私たちは明確に把握できないにせよ――、という含みにおける“救い”という意味合いにとって頂きたい。
9)『聖書の権威と無誤性』P6。
“10)『伝道 福音派 福音主義』P3。
また、油井義昭によると、「戦後の日本の福音派は、聖書信仰を中心に結束してきたが、アメリカの福音派、保守主義の影響を強く受けてきた」という。その影響の中身として、根本主義、加えてNAE、また、ビリー・グラハムにおけるような効果的な伝道の型などが挙げられるのである(『新キリスト教辞典』P814「世界の教会と神学」「Ⅰ.アジアの教会と神学」)。そのことは終戦直後、日本を占領した連合国司令官マッカーサーが、強烈な彼の“キリスト教的使命感”を以て押し進めたキリスト教優遇政策(『日本プロテスタント教会史』P212)と、その動向に乗って送られてきた多くの米人宣教師の存在を背景に考えられるべきであろう。”
11)『伝道 福音派 福音主義』P7。
12)宇田進は、『新キリスト教辞典』P812「世界の教会と神学」の「Ⅱ.アメリカの教会と神学」で、アメリカの福音派の「今日の状況」における潮流の分類のうち第4の項目として、「ルター派、改革派、長老派、聖公会、メノナイトなど、歴史の古い諸教会のなかで継承されてきた告白主義的福音主義」を挙げている。
13)ネオ・ファンダメンタリズム。後述する根本主義の出自だが、社会への貢献などに意識がある。
14)『伝道 福音派 福音主義』P10。
15)『伝道 福音派 福音主義』P9。
16)宇田進によると、アメリカの福音派は、1)対決、分離を強調するACCC系の流れのファンダメンタリズム(根本主義)、2)ディスペンセーション主義と呼ばれる聖書解釈法を採る穏健ファンダメンタリズム、3)第二次世界大戦後に、従来のアメリカ・ファンダメンタリズムを修正した、ビリー・グラハムなどに見られる新福音主義、4)歴史の古い諸教派で継承された告白主義的福音主義、5)福音的な社会的福音を強調する革新的(プログレッシブ)福音主義、6)聖霊派・カリスマ運動系の福音派、7)5と自由主義の諸教会内における福音的なグループの交流によって生じた「新しい中道」(ニューミドル)と分類される(『新キリスト教辞典』P812「世界の教会と神学」「Ⅱ.アメリカの教会と神学」)。
17)根本主義との用語はしばしば、教理的に保守的な立場を取るあらゆる分派を指す言葉として用いられるが、クラウスはこの語を、もっと厳密な意味で用い、ペンテコステ派などにおけるそれは含まないとする。私もその立場を採用する。
18)『伝道 福音派 福音主義』P22。クラウスは、根本主義の教説の大きな要素を占めるディスペンセーショナリズムについても、それは神学的にも教派的背景から見ても圧倒的に改革派神学に立脚すると判断している。
19)『新キリ-』P448「根本主義」。
20)「聖書は誤りがない」ということについての根本主義における主張の最“右翼”は、「欽定訳英語聖書において誤りを含まない」という姿勢であるだろうし、それがもう少し洗練されたものとして、「原典において誤りを含まない」という信仰個条となり、その「誤りを含まない」ということの意味するところが、科学的(天体や気象、自然現象に関する記述など)、歴史的(年代の指定、歴史的できごとなど)、な事柄などに関してもなのでであるという無誤性の主張が、根本主義にとっては最大限の妥協点、“非根本主義”の福音主義者にとっては許容しておける範囲内にある理解であるように思われる。“非根本主義”福音主義者が、科学的、歴史的誤りに関しては許容する「無謬性」を打ち出してきたときに起こった論争が、無誤性・無謬性論争だったのであり、これは伝道に注ぐべくエネルギーを単なる内輪の論争に注いでしまう大きな徒労であったという思いが、福音派のなかに強く印象づけられ、その結果、この問題に関しては、できるだけ「言上げ」をしないかたちで根本主義陣営との連携を保っておくという姿勢が、今日に至るまで定着しているように私には観察される。
21)『キリスト教の将来と福音主義』P303。1995年当時、オックスフォード大学ウィクリフ・ホール神学部教授、リージェント・カレッジ(カナダ)組織神学教授、The Universities and Colleges Christian Fellowship(日本のキリスト者学生会に該当)名誉副総裁、「クリスチャニティ・トゥデイ」誌編集顧問。「オックスフォード大を卒業して、自由主義神学の立場で牧会の実践にあたるうち自由主義神学が、現実の人々の苦悩(失業、病苦など)に届き得ない“無力さ”と、学問的、霊的弱点を認識して福音派に転向したという(『キリスト教の将来―』P15)。
22)『キリスト教の将来―』P14、P16。
23)P27。P34からP47の「福音主義と根本主義(ファンダメンタリズム)」は根本主義の歴史的経過を記しているが、全般的に否定的な論調である。
24)『キリスト教の将来―』P39~p47
25)『キリスト教の将来―』P38。
26)『キリスト教の将来―』P81。
27)『聖書の権威と無誤性』P5、P6。
28)『キリスト教の将来―』P13、P62、P64、P67。
29)福音派内にあって、聖書は「誤りがない」けれども、科学や歴史に関することについて直接的には「誤りがない」わけではない、とする聖書の無謬性を主張する人々もある。
30)『キリスト教の将来―』P71から。
31)『キリスト教の将来―』P80。
32)(2)はイエスキリストの尊厳性、(3)聖霊の主権性、(4)個人的回心の必要性、(5)伝道活動の優先性、(6)キリスト者共同体の重要性、である。
33)『キリスト教の将来と福音主義』P80。
34)ファンダメンタリスト的解釈にとって…聖書に言われている出来事は実在するだけでなく、記されたとおりの出来事である。実際の出来事と聖書の記事は正確に一致するか、少なくとも密接不離なものである。…記事と一致する外的事実が常になくてはならない。(『ファンダメンタリズム』P76下段)。また、国際標準聖書百科辞典(ISBE)によると、無誤性は無謬性の中に包括されているという(『論集 聖書』「聖書の霊感」山崎鷲夫、P132)。
35)『ファンダメンタリズム』P27下段。
36)『ファンダメンタリズム』P196上段。
37)同上P82下段。
38)同上P89下段。
39)同上P15上段。
40)同上P15下段。
41)同上P143上段。
42)同上P139下段~P140下段。
43)同上P36。
44)同上P302上段。
45)『ファンダメンタリズム』P302下段。
46)『ファンダメンタリズム』P302下段。
47)われらが動機と導きは、聖書の崇高な尊厳性に対する教会の証言である。事柄の天的性質、教理の有効性、形式の荘厳さ、あらゆる部分の一致、(神に栄光を帰する)全体の目的、人間の救済の道の十全な発見、他の多くの比類のない優越性、その完全性、これらすべてが聖書の神の言たることを豊かに証明する議論である。にもかかわらず、その無謬の真理とその神的権威についての我らの信念と確信のすべては聖霊の内なる働きから来る。聖霊は我々の心に御言により、御言と共に証しをするからである。
48)『ファンダメンタリズム』P303。
49)『ファンダメンタリズム』P303~P312。
50)『ファンダメンタリズム』P307下段。
51)『ファンダメンタリズム』P308。
52)『ファンダメンタリズム』P306。
53)『ファンダメンタリズム』P306下段~P307上段。
54)たとえば、現在我々が知っているような正統な教理としての三位一体の教理は、聖書の記述からは導き出されず、事柄の明快さを得るためには、聖書の引用が問題を解決できる範囲の外に出かけていくよりほなにない。にもかかわらず根本主義者にとって、この教理が擁護されなければならない理由づけは、この教理は教会の伝統的信仰が三位一体的であったからでも、教父たちに由来するものでもなく、「聖書に書いてあるから」という決まり文句で片づけられることになる(『ファンダメンタリズム』P212下段)。
55)『ファンダメンタリズム』P213上段。
56)『ファンダメンタリズム』P203上段。
57)『ファンダメンタリズム』P312下段。
58)同上P312下段~P313上段。
59)同上P312下段。
60)同上P318上段。
61)同上P317下段~P318上段。
62)『ファンダメンタリズム』P316上段。
63)『ファンダメンタリズム』P316下段~P317上段。
64)『キリスト教の将来―』P57
65)『キリスト教の将来―』P80~P82。
66)『キリスト教の将来―』P83。
67)『キリスト教の将来―』P89。
68)その神学校は東京聖書学院である。
69)『論集 聖書』P136。
70)『論集 聖書』P135。

1)この「不可能」というコメントは、ルターの著作・発言記録の数の多さと、それを研究した論の多様さ、及びそれらの論を記した著作の数の多さが圧倒的であるという普遍的な問題に加えて、私自身のリサーチの圧倒的な不足、理解の未熟さ、整理・提示能力の現時点における限界といった要素から出た判断としてのコメントなのである。
2)『ルターと聖書』P343。
3)『ルターと聖書』P330。
4)『ルターとカルヴァン』P67。またルターはヤコブ書のほか、ヘブライ人への手紙、ペトロの手紙二、ユダの手紙、ヨハネの黙示録(各書の邦名については新共同訳を採用)について、ローマの信徒への手紙やエフェソの信徒への手紙、ペトロの手紙一と、その重要性について鋭い区別を設けた(『ルターと聖書』P330)。
5)『ルターと聖書』P332~P333。
6)『ルターとカルヴァン』P68。
7)WA.XXVI,450.ルター著作集第一集第八巻『キリストの聖餐について』P242(『聖書とルター』P334とその文末注20)。
8)『聖書の権威と無誤性』P72
9)『ルターと聖書』P338。
10)『ルターと聖書』P339。
11)英国オックスフォード大学で教えていたが異端の嫌疑を受けて教皇庁に召還されたが脱出してドイツに逃れ、以降、ドイツ皇帝の側に立って教皇側と闘った英国オックスフォード大学で教えていたが異端の嫌疑を受けて教皇庁に召還されたが脱出してドイツに逃れ、以降、ドイツ皇帝の側に立って教皇側と闘った(『新キリスト教辞典』「ウィリアム(オッカムの)」の項、大村晴雄)。しかしながらルターは、オッカムの反教皇的主題の著作については、それらから影響を受けたわけではなく、宗教改革が始まった後でも、それらの著作を読みさえしなかったようであるという。(『恩寵と理性』P54)
12)ルターが修道士になる前、すでにエルフルト大学での主だった指導教授は、確信に満ちたオッカム主義者であり、修道士として神学を学び始めたときの師匠も唯名論者であり、ルターは彼らから唯名論の基礎を十分に教え込まれたであろうという。(『恩寵と理性』P49)
13)『新キリスト教辞典』「スコラ学」の項、大村晴雄。また、スコラ学の黎明は9世紀、西方教会(カトリック教会)によるゲルマン民族の教化(ヨーロッパへの浸透)を背景として考えられる。
14)『恩寵と理性』P55。
15)『新キリスト教辞典』「唯名論」春名純人
16)『恩寵と理性』P56。
17)http://village.infoweb.ne.jp/~fwhs9…。このオッカムの原理は、ルターへの宗教改革への影響と同時に、近代科学の確立を促した。
18)『恩寵と理性』P55。
19)『ルターと聖書』P339。
20)『ルターとその時代』P56。
21)『若きルターとその時代』P116、『ルターとその時代』P63。
22)『若きルターとその時代』P247。
23)『ルターとその時代』P72。
24)『ルターとその時代』P74。
25)『ルターと聖書』P28。
26)『若きルターとその時代』P202。
27)『ルターとその時代』P86。
28)エルフルトには90以上の教会、36の修道院があった。アウグスティヌス修道院はドミニコ会やフランチェスコ会と対立していた(『ルターとその時代』P79)。
“29)それは、彼が幼いときから受けた厳格な宗教教育により、神やキリストを恐ろしい審判者としか考えることができなかったからとも言える。(『ルターとその時代』P82)。
 その時の状況の神学的な背景を考えると、オッカム主義の影響が大きかった。「自己の中にあるかぎりを為している人に対し神は恩寵を拒まない」というスコラ学における古い公理を、トマスのラインでさえ次のように説いた。すなわち、この義認のための準備は、神の恩恵と自由意志の共同によるものであるが、あくまで恩寵は無償であり、恩寵が先行すると。しかし、オッカム主義は、義認への準備を自由意志の功績に帰した(『ルターとその時代』P87)。”
30)『ルターと聖書』P1~P14。
31)「ルター主義における釈義原理」『福音主義神学』30号、P40。
32)『ルターとその時代』P94。
33)『ルターと聖書』P20。
34)「ルター主義における釈義原理」『福音主義神学』30号、P42。
35)「年譜」『世界の名著18 ルター』P544。
36)『ルターと聖書』P42。
37)「ルター主義における釈義原理」『福音主義神学』30号、P42。
38)『ルターと聖書』P45。
39)「ルター主義における釈義原理」『福音主義神学』30号、P42。
40)『ルターと聖書』P44。
41)『ルターの聖霊論』P188。
42)同上P188。
43)同上P256。
44)同上P203。
45)同上P24。
46)同上P186。
47)『聖書とルター』P341。

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 ピノマ、レナルト『ルター神学概論』(聖文舎、1968)
 プレンター、レギン『ルターの聖霊論』(聖文舎、1965)
 ペリカン、ジャロスラフ『ルターの聖書釈義』(聖文舎、1970)
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 イーヴァント、H.J.『ルターの信仰論』(日本基督教団出版局、1982)
 印具徹「ルターとアンセルムス――ルターの福音的「称名の倫理学」」『ルター――歴史と現代の中で』(日本ルター学会、1983)
 大塚篤「ポスト・モダンにおける聖書解釈の探求――ルターの聖餐論を媒介にして」『福音主義神学』第31号(日本福音主義神学会、1999)
 岸千年「解説・説教者としてのルター」『ルターの説教②』(聖文舎、1986)
 岸千年「解説・五つの説教について」『ルターの説教②』(聖文舎、1986)
 徳善義和「ルターにおける自然と自然的なもの」『ルター――歴史と現代の中で』(日本ルター学会、1983)
 徳善義和「ルターにおける「宗教」の神学的考察」『ルター研究』第2巻(ルター研究所、1986)
 鍋谷堯爾『旧約聖書が、今、語りかける』(いのちのことば社、2001)
 ボッシュ、デイヴィッド「第7章 中世ローマ・カトリックの宣教パラダイム」『宣教のパラダイム転換 上巻 聖書の時代から宗教改革まで』(新教出版社、1999)
 ボッシュ、デイヴィッド「第8章 プロテスタント宗教改革における宣教パラダイム」『宣教のパラダイム転換 上巻 聖書の時代から宗教改革まで』(新教出版社、1999)
 松倉功「ルターとバルト――バルトはルターを理解していたか」『ルターとバルト』(ヨルダン社、1988)
 丸山忠孝『キリスト教会2000年・世紀別に見る教会史』(いのちのことば社、1985)

目 次

序 論
1.論の動機 聖書を巡って「人が救われるとは」を問いたい
1)「福音派」の友人の投げかけてくれたもの
a.「聖書の話は本当か」と信徒が問いかけるとき
b.“非福音派”は斥けるべきか

2)「福音派」の友と共有する志
a.“救い”を求めて聖書に赴く
b.日本における実存的な課題として

3)論全体としての方法論
a.自然科学の方法と異なる
b.時代を超えた諸論の把握において

本 論 Ⅰ
1.論点の提示
《論点の提示》

2.福音派と無誤性
1)「福音派」の定義 クラウスに依って
a.2つのグループの総体
b.根本主義は保守的プロテスタントの基盤を守りたい
c.根本主義の問題意識と方法論を福音派全体が共有
d.根本主義の挫折と、名を隠しての継承
e.根本主義者と福音派全体が共有する問題意識は

2)マグラスに見る穏健「福音派」の方向性
a.根本主義と一線を画したい
b.パッカーへの評価に見る無誤性擁護
c.「聖書は誤りない」との前提における護教

3)バーにおける無誤性ないしは保守的福音派批判
a.根本主義を中心とした無誤性論者とそうでない福音派の区別
b.「聖書は無誤」を出発点にした“構造”への批判
c.根本主義は堂々巡りで自己完結も構造
d.正統的改革派神学からの逸脱はどこから?
e.ホッジ仮説とウォーフィールドの硬直化
f.諸教理の形骸化の可能性
g.福音派のためのオルタナティブ オア的立場
h.理性を無制限に重視する哲学的立場

4)マグラスの“応答”は?
a.直接はバーに応えない
b.実質的にバーと同様の問題意識
c.聖書の権威は、啓示する神の主権に根拠
d.主観的要素の重視
e.福音派の高い志を忘れないで
f.山崎鷲夫の興味ある発言

本 論 Ⅱ

3.ルター神学の投げかけるもの
1)信仰への接近における、理性の無能力性が「聖書の権威」を要請
a.無誤性の発想でない方法で信仰の真理に迫りたい
b.ルターは無誤性議論を素通りできる?
c.しかし文字としての聖書の一点一画を重視
d.オッカムの理性への見解からの影響
e.スコラ主義における唯名論者オッカム
f.唯名論の「聖書に権威」説からの影響
g.「理性は信仰の真理に達さない」という信仰の論理

1)実存的な“求め”のなかで、聖書にとらえられたルター
a.死への恐怖、審判者たる神への恐怖
b.規則を厳格に守っても“救われ”ない
c.聖書の外的な学びによっても救われない
d.「神の義」ということばにとらえられる

2)「文字と霊の区別」において読むことの発見
a.アウグスティヌスの、「身を以て読む」リアリティへの共感から
b.「文字と霊の区別」を受け継ぐ
c.詩篇をキリスト論的に読むことにおける継承
d.「形而上学的に霊と肉を区別する理解」の克服
e.聖書の「文字」に指し示されて「霊」が与えられる
f.読者の方が「変えられる」という事態
g.神は「外的言葉」に被われつつ、すなわち聖霊をお与えになる

3)語られるみことば
a.何がルターをキリスト論的聖書の読み方に導いた?
b.“救いを得られる”ように置かれていた聖書
c.外から「語られることば」に関わらせられるということ
d.「語られることば」において語られるキリスト
e.「語られることば」において現れる聖霊という領域
f.そこでは「模倣」でなく「神の異なる業」がある
g.キリストの「信仰の義」を転嫁して下さる事態として

4)聖書やみことばの“実力”に信頼していたルター
a.ある「テキスト」が絶えず「語られる」ものになる可能性
b.だからこそ「文字」の意味を正しく把握する努力
c.聖書の、語りかける“実力”に信頼を置くルターの聖書観

結 論

参考文献